大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)2353号 判決

控訴人

芹沢一郎

右訴訟代理人

深沢貞雄

外二名

被控訴人

株式会社駿河銀行

右代表者

岡野喜一郎

右訴訟代理人

島田稔

被控訴人補助参加人

大川茂

主文

本件控訴を棄却する。

被控訴人は控訴人に対し金一〇〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年三月一一日以降同年九月一一日まで年四分、同年九月一二日以降右完済まで年五分の各割合による金員を支払え。

控訴人の予備的請求中その余の部分を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。この判決二、四項はかりに執行することができる。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉によると、

1  昭和三九年一〇月頃、被控訴人下田支店長であつた大川は同支店の昭和四〇年三月末の決算期の預金高を増大させて営業成績を上げるため、各方面に預金の勧誘をしていたが、たまたま訴外葵興産株式会社が賀茂郡河津町所在の称念寺の所有地を買収して宅地などに分譲する計画を有していることを聞き込み、同社の会長であつた松平にも預金を勧誘した。しかし同社は右土地買収資金すら持たず、かねて知合いの大岩に二千数百万円の融資の申込をしている状態であつたが、被控訴人の下田支店が預金勧誘をしている事実を知つた大岩は自らは預金をする余裕がないものの、もし右の勧誘に応じて預金が実現すれば、その預金を担保として下田支店から貸付を受けることができることを期待し、自分が事務所を借りていた訴外南工業株式会社の社長である訴外芹沢健次郎に、預金成績をあげさせてやるため、知人(大川のこと)が支店長をしている被控訴人下田支店に、二〇〇〇万円位を極く短期間、預金してくれないか、と依頼した。その頃、新分野の事業を計画し、そのためにはブローカーである大岩の力を借りようと思つていた訴外芹沢は大岩の頼みをきく気になつたが、それだけの資力がなかつたため、弟である控訴人に、大岩の頼みを話し、右預金のため他より資金を借入れるのであればその金利位は自分が払つてもよい、と申出たので、控訴人は渋々承諾し、昭和四〇年三月一〇日、訴外三井信託銀行八重洲口支店から二三〇〇万円を借受け、これを被控訴人下田支店に預金すべく同日、同支店から被控訴人下田支店控訴人口座へ電信送金をなさしめるとともに右同日、直接下田支店に赴いて預金手続をするため、訴外芹沢および初対面の大岩、松平を同行して東京から下田に行き、同夜は右全員大川が経営する旅館海山荘に宿泊したこと、

2  他方右同日、二三〇〇万円の電信送金を受けた被控訴人下田支店は電信送金の受取人である控訴人名義の別段預金口座を開設し、同口座に二三〇〇万円の入金扱いをなしたこと、

3  翌三月一一日、控訴人と訴外芦沢は、預金手続は自分達がする、と大岩に言われて海山荘に残り、大岩、松平が被控訴人下田支店に行き、同支店長大川は大岩の指示により、控訴人名義の右別段預金口座の二三〇〇万円を、期間三か月、利息年四分の左記本件無記名定期預金に書替え、定期預金証書を作成したが、その際、届出印としては、後記借入名義人の一人である石橋の印が使用されたもののようであり、右預金証書は下田支店が保護預りをすることになり、大川は宛名の記載のない保護預り証書を作成して大岩に交付したこと、

証書番号

金額

一〇三五三

五〇〇万円

一〇三五四

三〇〇万円

一〇三五五

二〇〇万円

一〇三五六

五〇〇万円

一〇三五七

三〇〇万円

一〇三五八

二〇〇万円

一〇三五九

三〇〇万円

4  右三月一一日当日、大岩は自分が二三〇〇万円の真の送金者であるように振舞い、大川は大岩の右振舞や、控訴人ら兄弟は金持ちの御曹子である自分の番頭であり、本件送金の受取人名義が控訴人であるのも名義だけのものである。などとの言葉を信じ、大岩が二三〇〇万円の出捐者、従つて本件無記名定期預金の預金者は大岩であると考えていたこと、そのため被控訴人下田支店は大岩、松平の申入れで、大岩を保証人として松平(但し借入名義は松平の他大川ツル子、村井憲三、石橋義一などの名義を借用)に昭和四〇年三月下旬以降一二〇〇万円の貸付をなし、昭和三九年一二月に貸付の五〇〇万円についても本件無記名定期預金を担保とする旨の合意をなしたこと、

5  本件無記名定期預金の預入期限(昭和四〇年六月一一日)到来直後、三〇〇万円は払戻され、三〇〇万円は海山荘売店訴外河浦文雄名義の普通預金口座に振替えられ残る一七〇〇万円は松平、大川、村井、石橋の四名の名義に分け一口一〇〇万円、合計一七口の記名定期預金(証書番号G七七からG九三まで)に書替えられたが、右手続は大岩、松平の指示でなされ、その後、右定期預金はすべて前記被控訴人下田支店の松平に対する貸金との相殺処理がなされたこと、

6  ところで大岩は前記のように昭和四〇年三月一一日、別段預金から本件無記名定期預金への書替手続を終えた後、二三〇〇万円をすべて定期預金にしたことを控訴人に秘し、二〇〇〇万円を期間三か月の定期預金にし、証書は下田支店に預けてきた、と言つて、恐らくは前記大川から交付を受けた宛名の記載のない保護預り証書に勝手に控訴人の氏名を書き加えたものであろうと思われる、控訴人宛の保護預り証と現金三〇〇万円を海山荘において控訴人に渡した。短期の普通預金をするつもりでいた控訴人は意外に思い、大川に電話したが、何時でも解約できる、と言うので右預り証などを持ち帰り、昭和四〇年四月上旬、大川に解約を申入れたところ、期限まで預金して欲しい、と言われてこれを承知し、期限後である昭和四〇年六月中旬頃、大川に払戻を請求した。前記のようにその頃すでに大岩などの指示で本件無記名定期預金の払戻、書替をなしていた大川は大岩などに照会し、控訴人から事情を聞くなどしているうちに、大岩の言動が常々不自然であり、不審の点があつたことに気付き、控訴人が前記二三〇〇万円の真の出捐者であると思うようになり、同年六月下旬、詫び状とともに預金利息一八万二三〇六円を記入した控訴人名義の普通預金通帳、前記証書番号G七七から九三までの定期預金証書および証書番号G九四の金額三〇〇万円の定期預金証書を控訴人のために保護預りしている旨の証明書を控訴人に送付したこと、

が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで本件定期預金のような無記名式のものは、原則としては、預入行為をなした者が何人であるかを問わず、預入資金の出捐者を預金者とみるべきであるが、預入行為をなした者が預入資金に対する出捐者の支配を排し、自己を預金者とする意思で預入行為をなした場合は、例外的に預入行為者を預金者とみざるをえない。

本件無記名定期預金においては預入行為(前記別段預金の書替手続)を預金者側に立つてなした者は大岩であるが、その資金の出捐者が控訴人であること前記認定のとおりであるから、右原則論に従えば、控訴人が預金者ということになる。しかし前記認定の本件無記名定期預入に関する全経過に照らすと、大岩は控訴人名義の別段預金口座に預金されている二三〇〇万円につき、これを直ちに費消する意思はなかつたにしろ、これを担保に松平に融資を受けさせ、あるいは預入期限後はその一部を自己が払戻を受け、領得する意思をもつて、無記名式を選んで定期預金となした。とみざるをえず、そうすると、大岩は右二三〇〇万円につき控訴人の支配を排して、自己を預金者とする意思で預入行為をなした、ということになるから、前記例外的な場合に当り、本件無記名定期預金の預金者を出捐者である控訴人とみることはできない(かえつて預金者は大岩とみざるをえない)ものと思われる。

そしてほかに主位的請求原因1を認めるに足りる証拠はない。

二予備的請求原因1のうち昭和四〇年三月当時、大川が被控訴人下田支店長であつたこと、控訴人主張の二〇〇〇万円につき大川が控訴人主張のような預金処理をなしたことは当事者間に争いなく、その余の事実(控訴人が二三〇〇万円の送金をなしたこと、本件無記名定期預金が払戻し、あるいは、松平に対する貸付金との相殺処理などにより控訴人がその支払を受けられなくなつた事実)が認められること前記(本理由一)のとおりであり、右事実からすると控訴人は大川の行為により控訴人主張の損害を蒙つたということができる。

三予備的請求原因2は大川の過失の点を除き当事者間に争いなく、〈証拠〉によると、大川は昭和二一年、被控訴人に入社し、昭和三九年一〇月、下田支店長になつたが、昭和三九年暮頃から昭和四〇年三月末における右支店預金高を増大させるため、日夜、奔走し、称念寺所有地買収の噂を聞き、松平を訪ねて預金の勧誘をなし、大岩とも昭和四〇年三月一〇日に初対面した仲であつたこと、昭和四〇年三月一〇日、前記のように控訴人らが海山荘に宿泊した日は大川は多忙のため殆んど控訴人らと話もせず、翌三月一一日、大川は前記のように控訴人を受取人とする電信送金を受入れた控訴人名義の別段預金口座の二三〇〇万円につき、大岩のいうままに本件無記名定期預金への書替手続をなしたことが認められる。

無記名定期預金の預入に際し、預入行為者が預入資金に対する出捐者の支配を排し自己のために資金預入をなした場合の預金者は、前記のように出捐者ではなく、預入行為者であると解すべきであるが、右のような場合、本来預金者となるべき筈であつた出捐者が出捐金につき何らかの損害を蒙るであろうことは容易に想像される。

従つて無記名定期預金の預入を受ける銀行側職員はその預入手続に当つては、銀行の正当な顧客となるべきであつた本来の預金者の利益を守るため、右のような出捐者にとつて不利、不測の事態が生じないよう、安易な預入行為者の詐欺的言動に惑わされず、関係者に照会するなどすれば容易に出捐者が判明するような場合にはその照会などをなすべき注意義務を負うものと考えるが、前記(本理由一、三)認定事実によると、本件電信送金の受取人は控訴人であり、それを受入れた別段預金口座の名義人も控訴人であり、しかも控訴人自身も預金手続のため下田に来て、大川経営の旅館に宿泊していたにも拘らず、預金獲得を急ぐばかりに、昭和四〇年三月一一日の大岩の幼稚な詐欺的言動にたやすく惑わされ(大岩の詐欺的言動が幼稚であり、これに大川がたやすく惑わされたということは、昭和四〇年六月一一日の本件無記名定期預金預入期限経過後、控訴人の事情説明などで、前記のように、大川が忽ち大岩の不正に気づいたことからも容易に推測される。)、控訴人に一片の照会もせずに、もつぱら大岩の指示に従つて本件無記名定期預金受入手続をなした大川には前記注意義務を怠つた点において過失があつたといわざるをえない。

しかし、他方、前記(本理由一)のように、昭和四〇年三月一一日、初対面の大岩のいうままに旅館に残り、二三〇〇万円という多額の預金預入手続をなすに当り自ら銀行に出向くことなく大岩らにこれを一任し、また預金証書そのものではなく、その預り証だけに信をおいて帰つて了つた控訴人側にも本件損害発生につき過失があつたといわざるをえず、この過失と前記大川の過失の割合は五対五とみるのが妥当である(なお被控訴人の抗弁3は予備的請求についての抗弁とも考える余地があり、〈証拠〉によると、大川は前記のように控訴人が真の出捐者であることに気づいた後、控訴人を自己が経営する旅館海山荘の共同経営者に迎えるなど、控訴人の損害軽減のための措置をとつたことは認められるが、その余の抗弁事実を認めるに足りる証拠はなく、右認定事実だけで被控訴人主張のような債務免除を推認することはできない。従つて右抗弁3は採用することができない)。

四そうすると控訴人の主位的請求は失当で、これを棄却した原判決は正当であり、当審において追加された予備的請求のうち損害二〇〇〇万円の二分の一である一〇〇〇万円およびこれに対する不法行為の日である昭和四〇年三月一一日以降同年九月一一日まで民法所定年五分の遅延損害金の範囲内である控訴人請求の年四分の、同年九月一二日以降右完済まで民法所定年五分の各割合による遅延損害金の支払請求は理由があることになるが、その余の部分は失当ということになる。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法九六条前段、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項、四項を各適用して、主文のとおり判決する。

(吉岡進 手代木進 上杉晴一郎)

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